あ~お
噫気(あいき)
噯気とも書く。おくび、いわゆるゲップのこと。
医心方(いしんぽう)
丹波康頼編纂。平安時代の永観二年(984年)に成立。全三十巻。現存する日本最古の医書。当時の中国の医書をまとめた医学全書。
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か~こ
瘕(か)
腹腔内のしこり。形が解らないもの。
霍乱(かくらん)
嘔吐、下痢を伴う急性の病。
呵欠(かけつ)
「あくび」のこと。欠ともいう。
岐伯(きはく・ぎはく)
中国の伝説上の医師。黄帝の侍医となり、黄帝に医術を教えたとされている。『黄帝内経』は主に黄帝と岐伯との問答形式で書かれている。
欠(けつ)
「あくび」のこと。呵欠ともいう。
黄帝(こうてい)
中国の伝説上の人物「三皇五帝」の一人。『黄帝内経』を著したとされている。黄帝の医学の師匠が岐伯とされている。
黄帝内経(こうていだいけい)
中国最古の医学書の一つ。東洋医学の原典。成立年は不明だが二千年ほど前と考えられる。『漢書』芸文志に「黄帝内経十八巻」との記載があるため、この時点では成立していたと考えられている。その後、『黄帝内経』は2つに別れたと考えられており、『素問』と『霊枢』の二つを合わせて『黄帝内経』とされている。省略して『内経』ともいわれる。
さ~そ
十四経発揮(じゅうしけいはっき)
元の時代の1341年に滑寿によって著された経絡経穴に関する書物。
傷寒(しょうかん)
急性の熱病。腸チフスやインフルエンザ、マラリアなどが傷寒にあたるといわれる。なお現在の中国語では腸チフスを指す。
傷寒雑病論(しょうかんざつびょうろん)
張仲景により後漢の末期(西暦200年頃)に著された傷寒と雑病に関しての専門書。その当時の多くの医学書を参考につくられた。この書には今なお使われる多くの湯液(漢方薬)の処方が紹介されている。この書は、後に、傷寒に関する『傷寒論』と雑病に関する『金匱要略』に別れ、現在に伝わっている。
所生病(しょせいびょう)
是動病が進んだもの。
『難経』二十二難には「所生病とは血なり」「是動を為すことを先にし、所生を後にするなり。」と記されている。
鍼灸甲乙経(しんきゅうこういつきょう)
『黄帝三部鍼灸甲乙経』の略。西晋の甲甫謐が編纂した中国最古の鍼灸専門書。全12巻。三世紀の後半に成立。省略して『甲乙経』とも言われる。
神農本草経(しんのうほんぞうきょう)
成立年は二千年ほど前、前漢末~後漢の中期までの間と推測されている。神農が著したことになっているが、著者不詳。中国最古の薬物学書。本草学の原典。
泄瀉(せっしゃ)
下痢のこと。
是動病(ぜどうびょう)
対象の経脈の乱れが起きた時に現れる症状。病の初期の状態。
『難経』二十二難には「是動とは気なり」「是動を為すことを先にし、所生を後にするなり。」と記されている。
素問(そもん)
『黄帝内経素問』の略称。『霊枢』と合わせて『黄帝内経』と言われている。中国最古の医書のひとつ。成立年は不明だが2000年ほど前に成立したと考えられる。黄帝の著とされるが、著者は不詳。東洋医学の医学理論等について記載されている。
た~と
丹波 康頼(たんば の やすより)
平安時代の鍼博士。生没:延喜十二年(912年)~長徳元年(995年)。現存する日本最古の医書『医心方』を編纂したことで有名。
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張 仲景(ちょう ちゅうけい)
『傷寒雑病論』を著した医師。二世紀半ばの生まれ。姓は張、名は機、字は仲景。名医として有名であった。傷寒により親族の多くが亡くなり、これに心を痛め『傷寒雑病論』を著したとされている。
な~の
難経(なんぎょう)
『黄帝八十一難経』の略称。後漢頃に著されたとの説が有力。扁鵲著とされているが実際の著者は不詳。東洋医学の重要古典の一つ。経絡治療における本治法のベースとなっている。
は~ほ
標治法(ひょうちほう)
病の症状を取り除くために局所的に行う治療。対になるのが本治法。
扁鵲(へんじゃく)
中国の伝説上の名医。渤海郡鄭の人で名前は秦越人。長桑君に医術を伝授され、後に扁鵲と呼ばれるようになった。『難経』を著したとされている。『史記』扁鵲倉公列伝に記載されている。
本治法(ほんちほう)
病の症状ではなく、根本的な部分(臓腑の虚実)を治療し体全体を整える治療。対になるのが標治法。
ま~も
や~よ
ら~ろ
霊枢(れいすう)
『黄帝内経霊枢』の略称。『素問』と合わせて『黄帝内経』と言われている。中国最古の医書のひとつ。成立年は不明だが2000年ほど前に著されたと考えられる。黄帝の著とされるが、著者は不詳。鍼灸の治療法等について記載されている。
わ~ん
和漢三才図会(わかんさんさいずえ)
江戸時代に寺島良安によって編纂された百科事典。正徳二年(1712年)に成立。
寺島良安は医師であったため、医学関連の記述も優れている。
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