【第八節 四診】
(一)望診
澤田健氏は望診に秀ひでてゐた。澤田流の門下、代田文誌氏の筆をかりよう。
「全く現代医学の常識では解り得ない事をやつてゐる、患者が治療室に入つて来ると、貴方は幾時頃から熱が出てゐるとか、それから貴方は何処が悪るいとか、坐らぬ先から言ひ当てる、先生は症候も聞かずドンドン治療をやる、さうしてドンドン成績が挙つて行く、毎日々々治療室を見て参りますと私達が想像もしなかつた病気がドンドンと治つて行く、かくして鍼灸医学の優秀なることを実験的に知つたのであります。事実優れたものだと云ふことを、この時始めて知つたのであります。先生は斯様に自由自在に治療して行くのでありますが、其のやり方は只古典のまゝをやつて居るに過ぎない、自分一個の考へでやつて居るものではない、古典のまゝに治療するのみであります」と述べてゐるが、全く余も故澤田健氏には何辺も会つてゐるが、その望診は素晴しいものであり、只驚歎するぱかりであつた。然しながら、この道は先哲の遺された陰陽五行の理によるものであつて、澤田健氏がその門人に古典の遺産「五行の色体表」を壁間に掲げしめ、之を眺めしむることにより首練自得をせまられた所以があるのである。達人の域は「曰く言ひ難し」であり、「名状すべからず」である、ただ高度の五官の練磨によつて体験会得するより他に途はないのである、悟るよりほかないのである、五行の色体は次の通りである。
五臓 | 肝 | 心 | 脾 | 肺 | 腎 | |
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五行 | 木 | 火 | 土 | 金 | 水 | 性を示す |
五腑 | 胆 | 小腸 | 胃 | 大腸 | 膀胱 | |
五官 | 眼 | 舌 | 唇(口) | 鼻 | 耳(二陰) | 前陰(生殖器と尿道) 後陰(肛門) |
五充(主) | 筋 | 血脉 | 肌肉 | 皮毛 | 骨 | 五臓の栄養を補充するもの |
五華 | 爪 | 面色 | 唇(乳) | 毛 | 髪 | 五臓精気がつく色沢に発するところのもの |
五季 | 春 | 夏 | 土用 | 秋 | 冬 | 季節の自然的配合 |
五方 | 東 | 南 | 中央 | 西 | 北 | 方位の必然的配当 |
五色 | 青 | 赤 | 黄 | 白 | 黒 | 色の理論的配列 |
五香 | 臊 | 焦 | 香 | 腥 | 腐 | 体臭の自然発生的なもの |
五味 | 酸 | 苦 | 甘 | 辛 | 鹹 | 食味五臓の要求するもの |
五気 | 温 | 熱 | 湿 | 燥 | 寒 | 各臓の傷害する外気性状 |
五志 | 怒 | 笑 | 思 | 憂慮 | 恐 | 五臓の発する感情 |
五精 | 魂 | 神 | 意智 | 魄 | 精志 | 精神の配属 |
五役 | 色 | 臭 | 味 | 声 | 液 | 各臓の受持ちの色の役割 |
五声 | 呼 | 音 | 歌 | 哭 | 呻 | 病人の出す声 |
五音 | 角 | 徴 | 宮 | 商 | 羽 | 音階 |
五調子 | 双調 | 黄鐘 | 壱越 | 平調 | 盤渉 | 調子 |
五位 | 震 | 離 | 坤 | 兌 | 坎 | 八卦の方位 |
五星 | 歳星 | 熒惑星 | 鎮星 | 太白星 | 辰星 | 五大惑星 |
生数 | 三 | 二 | 五 | 四 | 一 | 五行生成を示した |
成数 | 八 | 七 | 十 | 九 | 六 | 数理の原則 |
五穀 | 麦 | 黍 | 粟稗 | 稲 | 豆 | 五臓の薬用としての穀物 |
五畜 | 鶏(犬) | 羊 | 牛 | 馬 | 豕 | 五臓の薬用としての家畜 |
五菜 | 韮 | 薤 | 葵 | 葱 | 藿 | 五臓の薬用としての野菜 |
五果 | 李 | 杏 | 棗 | 桃 | 栗 | 五臓の薬用としての果実 |
五兄弟 | 甲乙 | 丙丁 | 戊己 | 庚辛 | 壬癸 | 十干の配当 |
五募 | 兪 | 経 | 合 | 井 | 滎 | |
五親 | 水子 | 木子 | 火子 | 土子 | 金子 | 五行の相生 |
五液 | 泣 | 汗 | 涎 | 涕 | 唾 | 五臓所主 |
澤田健氏の望診は実は「五行色体表」に依據すると思はれる節が多い、「黴毒はカビだ、病人がカビ臭かつたら黴毒だ」と澤田氏が云ふて哄笑をかつたことがあるが、澤田氏に云はせれぱ笑ふものを冷笑したくなつたかも知れぬ、白楽天ではないが、身後金を推むよりも若かず生前一杯の酒で、酒の味の分らぬ奴に酒の講釈をしてみたつて分るわけはない。鹿児島名産の「カルカン」のいふ名菓があるが、あの風味といゝ、舌ざわりといゝ、味わいといゝ、頬の感触は喰つたことのないものにいくら説明しても分る筈のものではない。もうーつ食ひ物の話ばかりで恐縮だが、石狩川からとれた、生きてゐる鮭の脊にあるメフンの生まのまゝを生醤油で喰ふ味のよさも経験のないものは分らぬが本当だ、世の中はへんてこなもので、分らぬやつが、分る者を笑ふことがまことに多いのは困つたものだし、本当のも、科学的なものゝ創見が日本には少い理由もこゝにあらう。
話がよこにそれたが、「五行色体表」にしてもその通り、実地にぶつかつたものでなければ分りつこない、その訳はともかくも、先哲の遺したものを一応はそのまゝ受入れて患者について実験するといふ科学的態度をもつてのぞまず、低級な常識で抽象的に判断して、そんな馬鹿げたことがあるもんかと研究もせず、実験もせず馬鹿にしてかゝるのは馬鹿にしてかゝるものが馬鹿なので、馬鹿につける薬がないのと同様ほつたらかすより仕方がない、そんな人聞を澤田健氏は「人間のカス」とよんでゐる。我々は「五行色体表」を治療の前提とし、治療に役立たせて使へばよいので。「五行色体」の如何なるかについての文献的、歴史的研究は後でゆつくりやればよいのだ、もつとも我々はこれに関する定見をもつてゐるが紙数もないので今は省略する。要は治療の為めのものとして受取り、これを臨床に使へぱよいのだ。
さて、五行の色体の見やうだが、各目を横(※この画面では縦)に見て合致してゐれば順であるが、変つてゐれば逆である、順は悪候のやうに見えても治し易いが、逆は治しにくいのである。
例へば体臭が臊(あぶらくさい)で眼をつぶつて眼険がビクビク(筋)すれば肝胆の病気ではないかと証をきいて見る、体臭が腐(くされくさい)く、皮膚の色が黒く、何んとなく、へりくだり、びくびくする(恐)やうな、そわそわするやうな様子であれぱ腎の病気ではなからうかと当りをつけるのである。そして他の証と参互してみる、これがピタリと当るのである。
かやうにして、病人を師匠として経験をつめぱ、自然と悟り、会得するに至るものなのだ。東洋医術の立ち人を念願するものはこうした修練によつて達せられるのだ、これは望診ばかりでない。他の診法に於いても同様云えることがらである。次に古典にある望診の知見を少しく示そう。
- 青きこと草滋の如くなるは死す、翠羽の如きは生く。
- 黄なること枳実の如くなるは死す、蟹腹なるは生く。
- 黒きこと炲の如きは死す、鳥羽の如きは生く。
- 赤きこと衃血の如きは死す、雞冠の如きは生く。
- 白きこと枯骨の如きは死す、豕膏の如きは生く。
- 青黒は痛みと為す。
- 黄赤は熱と為す。
- 白きは寒と為す。
- 赤色両顴に出で大さ拇指の如き者は病小なりと雖も必ず卒かに死す。
- 黒色庭に出で大さ栂指の如くなる者は病まずして卒す。
- 赤多きものは熱多し。
- 青多きは痛み多し。
- 黒多きものは久痺を為す。
- 黒、赤、青皆多くあらはるゝものは寒熱を為す。
- 身痛み面色微黄、歯垢黄にして爪甲の上、黄なるは黄疸なり。
- 産婦を験するに、面赤く舌青きは母活き子死す。
- 産婦の面青く舌青く沫を出すものは母死して子活く。
- 唇口倶に青きは母子倶に死す。
- 爪甲紫色なるは血液凝渋し、手足厥冷す。
- 足扶裏腫れ、眼瞳子転ぜず、身悪臭あるは死す。
さて、色候、人種によつて異るであらうとの疑問があらう、もつともなことである。黄色人、黒色人はそれぞれ黄色黒色ながら五色を有してゐる。横山大観画伯の富士山の墨絵は黒ながら白もあれぱ赤も青も黄もある、墨絵だから黒いとは限らぬ、色候にしてもその通りである。